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私が成功してきた理由

20年前に沼津オークションの検査員アルバイトで入社しました。 当時の沼津オークションはローカルの、一回の開催に130台くらいの小さなオークションでした。

今のグルメ街道「駿河の湯」の場所です。
そこからオークションの拡大を始めました。
同場所での新しい会場を新築、数年後に立ち退きにより裾野への移転。
茨城県に650席の当時としては、かなり大きな東日本オークションの新設。
どんどん拡大していきました。

事業拡大の、社長方針が出ると、納得する役員が50%です。不満をもつ役員が50%です。不満を持つ役員は辞めていきます。役員が辞めるので、アルバイトの私が役員に推薦されました。私は、信用も資産も何もないし、飯の食い方を社長に教わったので、社長の方針が、よくても悪くても先頭を走りました。
3年後には沼津オークションの筆頭役員。5年後には東日本の筆頭役員。
二つのオークションの筆頭役員になりました。

そこで学んだことは、社長の方針は、うまくいくことが50%、失敗することが50%です。私の立場で、社長方針の納得性より、どうしたら社長の方針をうまくいくようにできるか。「あわせるべきときに、あわせる」を実践してきたのです。

結果は、オークションはなくなりました。
私は、納得できないことでも合わせてきたおかげで、今の実力が身についたのです。

当時の方針はめちゃくちゃです。
オートベルの05会に一ヶ月200台買い取れ。これくらいめちゃくちゃな方針でした。
私は、泣きながらやりぬきました。必要な組織を固め、教育し、資金を調達しました。
短期間でやり抜いたおかげで筋肉がついたのです。

めちゃくちゃな方針を泣きながら乗り越えたおかげで、営業一人500万以上のあら利を稼げる社員が育てることができたのです。

コメント

自分が納得できるかできないかは自分次第だと思いました。納得できないことは納得できるまで探求していく。それが自分の成長へとつながるんではと感じます。

やり抜くには、自分に対しての厳しさを持つことと、環境に左右されない意思の強さと、自身の行動を自分でセルフコントロールできる能力が必要と感じる。

本日、合わせるべき人に合わせることが出来ませんでした。申し訳御座いません。どんな状況下においても目的を理解し合わせる。大切な事です。

高い目標であればあるほど、どうすればいち早く目標に到達出来るのか常に考えなければなりません。容易な道ではないと思います。
泣きながらも走り続け、やり抜くことが成功の理由であることが分かりました。これからが人生のスタートだと思っています。全力で走り続けます。

やり抜く。簡単な作業で一時間やり抜く事はできます。
これが一ヶ月をかけて、半年をかけて、一年をかけて目標を掲げてやり抜くということは非常に難しく感じます。
マーケットのムラがある。気持ちのムラがある。
怠けたいという気持ちにもめげずに目標をやり抜くには目標と同時に目的も必要になります。
社長が目標を達成するにあたって目的があったのでしょうか?
僕は三年後に年収1000万を目標としています。
その目的は、子供と女房に武神ともに豊かになって欲しい。好きなバイクが欲しい。サグラダファミリア教会を見に行きたい。

プロセスに悩むことがあります。
ただ目標をしっかり持っていればその都度プロセスを変え、ガムシャラに走ることが出来ます。

ガムシャラに走ります。

合わせるべきときに合わせるという事がとても重要な事がわかりました。やはり、力になるという事が大事なのですね。力になる為には自分自身も力が必要になると思います。私も合わせる時に合わせられるように力をつけたいです。

お疲れ様です。めちゃくちゃな方針を乗り越えた社長の努力は想像以上だと感じました。また自分が納得できない仕事でも精一杯やりぬく強さを学びました。私も死ぬ気で努力します。

私は今まで自分が納得できることはとことんやりますが、納得できないことは納得できないかぎりやらない主義でした。
なぜならば、自身が納得できないことをやることに違和感を感じるからです。
当社の行動規範に「合わせるべきときに合わせるべき人に合わせて通る」があります。それを意識して、めちゃくちゃな方針の納得性より、どのようにしたら方針をうまくいくようにできるかを考え、実践してきたことは純粋にすごいなと感じました。私には到底できないことだと思います。

泣きながらやりぬいたという事に凄いと思いました。どんなに辛い事でも、やりぬく事が大事だと解かりました。

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