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私のルーツ

私の先祖は、昔、昔お隣の百済から日本に亡命してきました。朝鮮半島が、新羅、百済、高句麗3国に割拠していた時代に、百済が新羅との戦いに敗れました。

百済が日本に援軍を頼みましたが、時すでに遅く、日本から来た援軍の船に乗って日本へと亡命しました。当時の百済の職人技術は世界でも高い水準でした。私も当時の遺伝子が多少残っているらしく「器用貧乏」と呼ばれています。

日本に着てからは、長州に殿様と一緒に数百年住んでいました。
しかし、陶の馬鹿やろうに反乱起こされ、殿様は殺され、私の先祖は国を追われ、船で命からがら逃げ延び、たどり着いたのが茨城県です。

一時は佐竹の家来になっていました。佐竹の殿様が、関が原で西軍に味方したため家康に秋田に移封され、その時に茨城の美女を秋田に連れて行ってしまいました。
茨城に残された先祖は、美人いない、寂しい人生を送ったと思います。
秋田美人のルーツは茨城美人です。私は小学生のころからこのうわさを聞いていました。

茨城の子守唄です。
茨城人は納豆食えて「いばラッキー」
茨城人は美人がいなくて「アンラッキー」
ちなみに茨城は「いはらき」と言います。
しかし、なぜか茨城人がしゃべると「いばらぎぃ~」となまった上に言葉が上がります。

武士をやめ、百姓になって数百年。生存している親戚は数百人いますが、商売をやっているのは私だけです。武士の商法です。私の商売は確かに下手です。

なぜ元武士の私が商売をやっているかというと、学歴中卒の私は、どこも採用してもらえなかったので、自分で30年前に車屋をはじめました。
残念なことに5年で倒産。夜逃げして2年間逃げ回り、飲まず食わずでたどり着いたのが「沼津」です。金がない。信用ない。人脈ない。寝ることない。あるのは借金だけ。

そこで心がけたのは、人の3倍働くことです。
1年間は8760時間あります。普通の人は年間2000時間です。
私は6000時間働くことを決めました。自分の時間は2760時間。一日7.6時間。

一生懸命働いて、会社の社長の信用を得ました。社長に独立資金を出していただいて、自分の会社を作りました。今から20年前の話です。

創業10年間は家内と二人で夜中まで仕事をしました。子供を手提げかごに入れて仕事をしました。10年過ぎたころから採用を始めました。

従業員一人ひとりが頑張ってくれて、現在の会社の規模は、グループ売り上げ100億円。従業員170名。従業員の努力と、温かいお客様のおかげで何とかここまで成長することができました。大変感謝しております。

コメント

こんばんわ、大内社長あー嬉しい。やったー
社長、俺北海道の網走で漁師をしています。
先祖のことを調べていたら,社長に会うことができました。何かの縁なのかな?不思議に兄さんみたいにおもいます。

こんばんわ、大内社長あー嬉しい。やったー
社長、俺北海道の網走で漁師をしています。
先祖のことを調べていたら,社長に会うことができました。何かの縁なのかな?不思議に兄さんみたいにおもいます。

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